顔の見えないやり取りは冷たさを強調する

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私の会社には社内SNSがあります

朝8時ぐらい。周りに聞く人がいなかったため勇気を出して数千人が参加しているあるプログラミング言語に特化したグループに質問を投げかけました。

既定の勤務時間前でしたが嬉しいことに返信が返ってきました。

でも、多少緊張したのもあったのでしょう。

 


返事が冷たく感じたのです。

 


「今行おうとしていることはガイドラインに準拠していますか?」

「こちらを読んでください」

「こちらも読んでください」

「問題の本質を理解しようという気持ちならば教えます。そうでないなのなら他の方に聞いてください。」

 


心臓が止まるかと思いました。


自分が期待していた返答とは異なる返事が多かったからです。

(コードすなわち答えを期待していました、、、)

 


私は返答の内容について憤るつもりは毛頭ありません。

上のやりとりは一種の教育であり、新卒の私の成長を考えればヒントのみを与えることはメリットが多いと思います(新卒は比較的暇ですし、勉強もお仕事)。

 


それは分かっていました。

それでもこう思ったのです。

”冷たい”と。

 


私は懸命に返信しました。

私と先輩社員方の視野の違いから私が頓珍漢な返しをしてしまうのでやり取りが曲がりくねりましたが、それでも懸命に返しました。

そうすると最後にはこう返信がきたのです。

 


「GOOD👍」

 


よかった!

それまでのやりとりの緊張感もあったのでしょう。

少し温かい気持ちになりましたね。

 


顔の見えないコミュニケーションは冷たさを強調する。

だから私たちは絵文字やスタンプを頻繁に用いる。

伝えられない気持ちを絵に託して。

 


平常なときは大丈夫だけれど、焦った時、イラついたときに"冷たい"言葉を投げかけてしまうかもしれない。

なんて、これは考えすぎでしょうか。